北辰一刀流

龍馬とさな子の秘かごと

 

 

龍馬は筆まめだ。

それが彼の人柄を知るよすがになっている。

父八平、兄権平、姉乙女、乳母のおやべさんにも書いている。

 

 

 

さな子との秘かごと

 

 

 

武市など藩邸でのこと、千葉道場のこと

それらを江戸に着いてから落ち着いて書いた。

東海道の道中を加えれば家族と長く離れるのは初めてだ。

 

 

龍馬時代の郵便事情

 

 

佐川急便ではないが飛脚が手紙を運ぶ。

東京から大阪間で言えば570Kmもある。

中二日で届けるチャーター便で約700匁(現在の価値で約170万円)

 

 

格安便(並便)で30文(約600円)で出発日が未定だったらしい。

中9日間の幸便は60文(約1,200円)位だったらしい。

この場合、出発日は決まっていた。

 

 

なにせ人間が走るわけだから大変だよね。

住所なんかも大雑把で着いちゃうんだと思う。

今のように細かな字では書けないので簡潔な内容になるよね。

 

 

 

手紙が仇でさな子にいじめられる

 

 

翌朝、道場に現れた龍馬のはかま(仙台平)を見て

「さな子は女ですから、お召し物について伺っても宜しいでしょうか」

「その袴のお柄は土佐で流行のものでしょうか?」

 

[st-card-ex url="https://sendaihira.jp/" target="_blank" rel="nofollow" label="仙台平" name="" bgcolor="#0000ff" color="#ffffff" readmore="続きを見る"]

 

じつは昨晩、龍馬は手紙を書いた折りに筆を袴で拭ってしまった。

それも何通も書いたわけだから拭った後はたくさんある。

「ははあ、これは難儀じゃ。いかん」

 

 

「墨がいっぱいついちょるわい」

龍馬から貞吉も訳を聞いて一同大笑いである。

「おかしなひと」とさな子は思った。

 

 

龍馬は練習とは言え戦国時代の荒武者のようだ

 

 

上背がありどっしりとした体躯で面籠手を付けると恐ろしい姿だ。

その男がひくく腹の底から絞り出した気合と姿は魁偉かいいで戦慄ものだ。

さな子はその武者姿を夢に見ることさえあった。

 

 

千葉道場では前将軍の祥月命日は休むことになっている。

貞吉は本家神田お玉が池に前日より出掛けていた。

重太郎も朝から松平上総介屋敷に出掛けていた。

 

 

さな子は留守居をしていた。

戸ががらりと開く音がする。

人気のない道場に龍馬が現れた。

 

 

さな子は、思う相手と交渉をもつとしたら

竹刀で剣技をあらそう以外にない。

その機会を重太郎に奪われている。

 

 

「坂本さま、何か御用でございますか」

「御用?稽古に来たんです」

「今日は、お命日で道場はお休みです」

 

 

「なるほど」

「兄が申し伝えておりませんでしたか」

「そういえばそんな気もするな」

 

 

(たよりないひと)と思ったが

ちょっといじめてやろうと思い、

「お忘れになりましたか」

 

 

「なにぶん昨日のことですから」

「昨日のことなら、もうお忘れになりますの」

「ああ忘れますとも」

 

 

「するとおとといのことは?」

さな子はつまらないことを聞いているとあやうく噴き出しそうになったが、それでも龍馬は大まじめで、「むろん、忘れます。しかしせっかく参ったのですから道場を拝借して一刻ばかり素振りでもして帰りますが、よろしいでしょうな」

「あの、それならば、さな子がお相手をしてあげてよろしゅうございますでしょうかしら」と思い切って言いだした。

 

 

いつか、坂本様と立ち会ってみせる

 

 

「そうですか、それでは防具を」気持ちを乱したのはさな子の方で、密か事でもするときめきを感じるのは、どうしたことだろう。

着替えのために障子を閉めて、帯のしごきを解いた。

その指の震えが止まらない。

 

 

龍馬は、竹刀を中段にとる。

さな子は左コブシを水月みぞおちの前に浮かし、竹刀を少し後に傾けて右肩に引き付け、左足を踏み出した。

この構えを八相という。

 

 

攻撃には不利だが相手の動きを俯瞰するにはとてもよい。

はじめて立ちあう相手に女らしく慎重をとった。

龍馬は(やっぱり出来るな)と感心した。

 

 

小柄なさな子にすきはない。

面鉄めんがねの奥で光る龍馬の眼は普段とは全く異質な輝きに感じられた。

(こわい眼)と思った瞬間、怒濤の竹刀が面上をおそう。

 

 

さな子は応じて籠手を打とうとした。

龍馬はわずかにかわす。

数合打ちあい、双方六尺の間合いをとる。

 

 

静寂を装うさな子に(乙女姉さんよりはるかに強い)

小さなさな子が打ち合うごとに大きくなってゆく。

「やあああ」さな子はすきとおる掛け声を掛け、龍馬の剣尖けんせんを抑えつつ、二歩進んだ。

 

 

と瞬時に飛び込み面を狙った。

とっさに龍馬はさがり、虚を打たせつつ振り向きざまに強烈な籠手を打ち下ろしたとき、さな子は鍔元で受けたつもりが竹刀が落ちた。

(やばい)と思ったのは龍馬だ。

 

 

安心した隙に素手のさな子が飛び込んできて腰に組み付いてきた。

(女だてらに、なんちゅう娘だ)

竹刀を落としたときの乗法とは言え龍馬を組み伏せられると思っているのか?

 

 

龍馬はさな子の胴下をつかみ前に浮かせ腰を入れて力任せに道場板敷きにたたきつけた。

「どうだ」

「まだまだ」

 

 

さな子は倒れたまま言った。

「竹刀を拾いなさい」

「いやです」

 

 

よほど悔しいのだろう。

更に組み付いてきた。

龍馬は足払いを掛けた。

 

 

さな子はまだ屈せずに飛び起きた。

面を剥ぎ取られるまでは負けではない。

三度目に組み付いてきた時、龍馬はさな子をねじ伏せ、その面を剥ぎ取った。

 

 

顔を真っ赤に上気させ、キラキラ光る眼で龍馬をにらんでいる。

「あなたの負けだ」と龍馬は宣言した。

なんと愛しい表情をしているのだ。

 

 

さな子をねじ伏せたときの柔らかい感触が両腕に残っている。

それを思い出すとからだが燃えるように恥ずかしくなる。

龍馬はそそくさと防具を脱いだ。

 

 

この時期の龍馬についてのエピソードも資料もない。

ただもろもろの因果関係からこのようなことがあって当たり前だ。

龍馬が十八歳、さな子十六歳ならこうなるだろう。