コンセプト

 

 

坂本龍馬の人柄に魅了され、そして愛され、可愛がられ、慕われた。

百五十年過ぎてなお敬慕される。

坂本龍馬ほど人気のある日本人はいない。

 

 

Contents

坂本龍馬をいろいろな視点で発掘してみたい

 

 

このブログでは司馬遼太郎さんの名を連ねさせて頂きました。

フィクションと云えばそうなんですが上手にまとめられている。

ただ史実に忠実に書くと真実から遠ざかることもあるだろう。

 

何度も『竜馬がゆく』を読み返した。

確かに奇想、奇策で多くの英雄豪傑を煙に巻いてきたことも事実だ。

そして、その人柄が敵を作らず、人に好かれるものであったこともその人気の原点だ。

 

 

『竜馬』と『龍馬』の違いについて

 

『竜馬』は司馬さんの『竜馬がゆく』を語るときに『竜馬』と記載しています。

『龍馬』は公人としての『龍馬』として書かせて頂いているときに『龍馬』と書いています。

ずいぶんと昔の話であるが司馬さんは自分の『竜馬』イメージをとても大切にしていたと聞きおよんでいます。

 

NHK大河ドラマで俳優さんのイメージがそのまま伝わってしまうことを避けていたらしい。

そんなこともあって映像化された『坂本龍馬』を視聴することを避けていました。

小説で読んだ『竜馬』の自分のイメージを大切にするためにである。

 

 

あえて最初の投稿から史実で否定された『竜馬』を書いてみた。

志學館撃剣会が行われたときに龍馬は江戸にいなかった。

武市半平太もいなかった。

 

 

没後、95年に『竜馬がゆく』が書かれ、その後、57年以上が過ぎ去った

 

司馬さんの『竜馬がゆく』もそろそろ古典になりつつあるのではないか。

現代人にとって『汗血千里の駒』は非常に読みにくい。

司馬さんの『竜馬がゆく』も現代小説として考えれば極端にカタカナ語が少ない。

 

極端なことを云えば昭和30年代は原稿用紙と万年筆で小説を書いていた。

現代はキーボードで書くのだろうと思っている。

どんなカタカナ語を使って『龍馬』を表現できるんだろうか?

 

そんなことを考えながら文献に目を通している。

今日、龍馬がその多くを語り継がれるのは彼が残した手紙や文章が多く残っているからである。

また土佐高知に伝説が語り継がれていることもその理由でもある。

 

龍馬を知れば幕末史のそのほとんどが理解できる

 

これは龍馬に惹かれ彼を読み解こうとした誰もが感じることでもあります。

彼は生前から既に『専守防衛』に徹していた。

そして天皇を頂点に万民が平等の日本を夢見ていた。

 

そんな先見性のある思考がどこから生まれたのかも知りたいところである。

徳川は鎖国を続けながらも世界は少しずつ日本にリークされていたわけである。

その断片を拾い集めながら今と昔とこれからの日本を創造してみたい。

 

そう わたくしは考えております。