パイオニアワーク

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を書いたわけ

 

 

子供の頃はご多分に漏れず大陸の馬賊に憧れていたらしい。

特に数学が苦手であったため旧制大阪外国語学校(現在の大阪大学外国語学部蒙古語学科)に入学。

受験科目に数学がなかった。

 

 

坂本龍馬との出会いが司馬遼太郎の進むべき道を示した

 

 

『国盗り物語』『関ヶ原』『新史太閤記』『関ヶ原』と

司馬遼太郎の歴史小説に馴染んできた。

しかしどうやら『竜馬がゆく』が氏の名を世に知らしめたものらしい。

 

 

土佐には坂本龍馬という男がいる。龍馬を書いてくれ

 

 

産経新聞時代の仲間(後輩)が家に遊びに来た。

「これは仕事で言っているのではなくて、自分の国の土佐には坂本竜馬という男がいる。竜馬を書いてくれ。」

と個人的に依頼されたのが切っ掛けであるらしい。

 

 

その友だちは元産経新聞社常務大阪代表、大阪市教育委員会委員長の渡辺司郎さんだ。

その要請の後に歴史資料を調べるといろいろな場面で竜馬が出て来る。

そしてその人柄などに引き寄せられて本格的に調べてみようということになったらしい。

 

 

そこに現れてくる坂本龍馬は愚かな戦争に突き進んだ

愚かな軍人たちとは違う人物像を示してくれた。

敗戦後の日本人に賢明な知恵を持ち再生を果たす元気を与えてくれる竜馬がいた。

 

 

 

最も困難な時期に最良の一手を打つ龍馬がいた

 

 

強大な幕府が存在した。

そこに西欧列強が手出ししてくる。

龍馬のことなど虫けらのように思っている土佐容堂

 

 

長州、薩摩と浪人の自分にはどうにもできない。

尊皇攘夷、開国佐幕と国論がさまよう中

龍馬が求めた未来はどんな未来であったのか?

 

 

ジョン万次郎が体験してきたアメリカや

勝から聞く西洋事情、大久保一翁、横井小楠、三岡八郎

から教えられた未来を竜馬は具現化したい。

 

 

そして誰もできなかったことを

英雄豪傑を利用して実現に結びつける。

そして最も大変な交渉を具現化してしまう。

 

 

自分は関わりがないように推し進める。

その魅力に司馬さんは取り付かれたのだ。

『竜馬がゆく』は最初で最高の歴史小説である。

 

 

龍馬は23歳の自分への手紙でもあり、21世紀の子供たちへの手紙なのだ

 

 

人を殺すことを嫌い、天子様の元万民が平等な国の実現。

新しい道を切り開き、その途中で成功の誉れを譲る。

気が付けばそこには理想の日本男子像が存在した。

 

 

これは司馬遼太郎の

いわば、23歳の自分への手紙を書き送るようにして小説を書いた

この言葉を明確に示しているようだ。