歴史認識

司馬氏『竜馬がゆく』江戸遊学時期の齟齬

 

 

竜馬は嘉永六年四月、江戸に到着している。

そして約15ヶ月後、嘉永七年六月二十四日

(安政元年)土佐高知に帰郷している。

 

 

 

※嘉永七年は内裏だいり(御所)炎上、ペリー再来航、11月4日安政東海地震、11月5日安政南海地震と不吉なことが続き、11月27日『安政』に改元している。

 

司馬史と歴史年表との大きな齟齬

 

 

 

龍馬は嘉永七年六月二十三日には高知に帰藩している。

竜馬は安政東海地震、安政南海地震後に土佐壊滅と聞き及び、その為に土佐に帰っている。

龍馬は信夫左馬之助、冴とのストーリーが展開されているときには高知にいた。

 

 

 

父八平逝去の時は高知にたことになる

 

 

 

龍馬に多大な影響を与えた河田小龍塾のこと

のちのち大切な仲間となる近藤長次朗長岡謙吉の出番が遅い。

多くのエピソードがあるが時系列をまとめながら 話を進めなければならない。

長岡謙吉

 

司馬氏も二度目の江戸遊学(竜馬は震災を心配し高知に帰った)から

安政四年までの手掛かりがないと書かれている。

高知に残る龍馬の言い伝えなどを史実に合わせて追いかけてみたい。

 

 

 

故郷で父八平の死を見つめる龍馬をどう描けば良いのか。

日根野道場で師範代を務めたのか?

司馬さんに変わって書かなければならないわけだ。

 

 

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司馬さんのテンポの速い竜馬は些細なことを気に留めず読み進めてしまう

 

 

 

土佐藩は長州藩や薩摩藩と比べて

特に時勢に遅れていたわけではない。

むしろ、万次郎がアメリカから戻りその知識を確実に吸い取っている。

 

 

 

ただ、その二藩との大きな違いは上士郷士の大きな身分の違いがある。

また山内家は家康に対して格別な恩と忠義がある。

そしてその時代に山内容堂が実権を握っていたことに特徴がある。

 

 

 

柳ジョージさんが『酔って候』と言う曲を作った。

相当の歴史小説好きな方で山内容堂鯨海酔候』をテーマに歌っていた。

柳さんはこの歌を作るにあたり、司馬さんの家まで行った。

 

 

 

そして『鯨海酔候』のロックを楽曲する許諾を得た。

さすが司馬さんも「ロックか」と感心していたらしいが

すぐに了承してくれたらしい。

 

 

 

思えば土佐をアピールする素晴らしい何かがない

 

 

 

土佐高知出身の方々が龍馬に寄せる思いはとてつもなく大きい。

司馬さんもその一人に依頼され心に残り龍馬を書くことになった。

鯨、鰹節、材木、紙、樟脳などが当時でも物産であった。

 

 

龍馬はある意味、新生日本の長州薩摩に続けとばかりに

土佐を最後に利用し持ち上げた男でもある。

その独特な性格や愛されるキャラクターが今尚健在である。