西洋文明

司馬遼太郎(竜馬)を嗜む時、旧暦新暦を意識する

 

 

司馬遼太郎を読むときに意識して欲しいこと

旧暦と新暦で25日間も季節のズレがある。

この差は感覚的に大きな違和感を生む。

 

 

 

旧暦【ユリウス暦】と新暦【グレゴリオ暦】

 

 

 

旧暦で竜馬は誕生日に暗殺されたことになる。

天保6年11月15日生まれ、慶応3年11月15日に亡くなったことになる。

新暦では1836年1月3日生まれで、1867年12月10日で昇龍となった。

 

 

実際に新暦に統一されたのは明治6年である

 

 

日本の旧暦は天保暦と言われる。

天保歴は明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使われた。

その翌日の12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日に改められ、グレゴリオ暦(太陽暦)に改暦された。

 

 

太陽を基準に可能な限り正確な新暦、つまりグレゴリオ暦を採用し、欧米のスタンダードに倣ったわけです。

暦について調べ語り出すのは本意ではない。

幕末維新史の中で季節の移ろいと1ヶ月近いズレがあったことを知っていていて欲しいと思うのです。(詳細な説明は省きます)

 

 

12月3日が1月1日だと想像してみて下さい。

今なら師走の忙しいときですね。

クリスマスに向けて年末商戦へ邁進している時期ですね。

 

 

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暦について簡易に説明します

 

 

ユリウス暦は共和政ローマ、カエサルにより紀元前45年1月1日から実施された。

1年を365.25日とする太陽暦である。

1年=365.25日=31,557,600秒

 

 

実際の太陽年は(2015年時点で)=31,556,925.168秒=約365.24218944日である。

その差は674.832秒=1分14.832である。

読み流さないで電卓を打って欲しいと思います。

 

 

約128年で1日がずれる。

約1280年で10日もずれる。

カエサルの時代から約1500年が過ぎ1582年にグレゴリオ暦への改暦が行われた。

 

 

明治の改暦、グレゴリオ暦の強引な採用

 

 

明治5年11月9日(旧暦)に

太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ領行ス』とする改暦が布告された。

突然、年末に布告されたため市井しせいは大混乱した。

 

 

既に翌年の暦は販売されていた。

暦を販売する当時の弘暦者は急いで作り直したわけだ。

今なら政府に損害賠償ものである。

 

 

この急な改暦の理由

 

 

明治政府の財政状況が不如意であった。

明治5年の1年を1ヶ月誤魔化した。

明治5年は12月3日から12月30日までの28日間が存在しない。

 

 

翌年の閏月の13ヶ月を1ヶ月誤魔化した。

なんとも姑息な新政府であった。

これをもって官吏に支払う給料を誤魔化したかったわけだ。

 

※閏月のリンク先で詳細を読んで頂きたい。

 

新暦は日本の気候風土や農業中心の生活と相性が良かった。

そして、当時、西洋化を急ぐ政府にとって暦も

西洋列強に合わせ世界の並ぼうとした訳です。

 

 

竜馬を読みとく時に

また歴史書を読む際に意識して欲しいことです。

ちょっとだけ気を付けてみて下さい。