北辰一刀流

竜馬は日本一の剣術使い

 

ダダーン

龍馬渾身の鉄砲突きが

小五郎を突き飛ばしていた。

 

桂の面はのど輪から突き上げられ脱げかけていた。

剣戟はその体躯や力量だけではない。

奇想、奇策で勝負がつく。

 

 

志學館撃剣会 龍馬の名声をひろく轟かせた

 

 

理路整然とした秀才肌の剣を使う桂小五郎も武市半平太たけちはんべいた

龍馬の“どこがしっぽかあたまなのかわらない”

生まれ持った顔を持つ剣にはかなわない。

 

龍馬の人を引き込む人心掌握術は剣で身に付けた

 

政略も戦略、剣術も理で攻めれば人心に惑わされる。

およそ考えも及ばない戦法が功を奏す。

何はどうあれ一本取った方が勝つわけだ。

 

 

剣術で名を馳せなければ坂本龍馬もその後の人脈は築けなかった。

二度の江戸遊学終了後、土佐に戻り、武市の土佐勤王党に加盟した。

その名声が土佐に帰った後で語り継がれるには

 

やはり安政の剣客として、実力と実績があったからだ。

土佐でできの良い子は半平太に続け

またできの悪い子は龍馬に続けと己が子を鼓舞した。

 

龍馬は剣を持って強かったのか否か

その体躯や力量をおもんばかれば

後年、幕末の英雄豪傑を煙に巻く龍馬はあり得ないと思う。

 

司馬さんが龍馬を書いていた時代から随分と時が流れた。

その間にいろいろな史実が解き明かされている。

しかし、それもまた何年かすると変わってしまうのであろう。

 

坂本龍馬は日本一の剣術使いであった。

しかし、それを鼻にかけないところが誤解を与える。

何はどうあれ松平春嶽に会い、その人脈を爆発的に増やしたのだ。

 

 

実績なしで西国雄藩との人間関係は築けなかった

 

 

司馬さんの竜馬は日本一の剣術使いなのに

剣で人を切り捨てたことはない。

これが龍馬の一番の魅力でもある。

 

 

剣を知る者は剣を”人殺し”には使わない。

桂小五郎も武市半平太もしかりだ。

半平太は自分の腹を斬ったが

 

 

ここが龍馬人気のキモになる。

多くの龍馬観があるのだが

これが一番大切なところだ。

 

 

龍馬絶対人気の原点

 

 

世界史上、政権交代を為した革命で

龍馬演出の”大政奉還”は誰一人血を

流すことなく演じられた。

 

 

その原点は北辰一刀流から学んだ。

奇想、奇策をもって相手を飲みこんでしまう。

勝って恨みをかうことの愚かさを知るものの戦術。

 

 

先手先手で先を読むことも

剣客技量の妙味である。

みだりに剣をチラつかせないことも修行。

 

 

近江屋で殺されていなければ

日本の明治は全く違う道を歩んだであろう。

そしてその後の大正昭和の愚行はなかった。

 

 

そう思うからこそもっと真剣に深く

龍馬を考えてみたいと思うのは男として当たり前のことだ。

時の経過とともに龍馬の存在は大きく羽ばたいてゆくのだろう。