登場人物伝

龍馬、江戸道中の出来事

 

 

実際の龍馬江戸遊学行は八歳年上の

溝渕広之丞みぞぶちふちのじょうと共に江戸に向かった。

岡田以蔵や寝待ノ藤兵衛との出会いはない。

 

 

龍馬、江戸での物語

 

 

司馬さんが書くと内桜田、鍜治橋御門へ行き

橋を西に渡って土佐藩邸下屋敷で草鞋わらじを脱いだ。

となるのである。

 

 

白札の武市半平太たけちはんぺいたと相部屋

 

 

半平太は長州で言う吉田松陰に例えられる。

龍馬とは親戚で六歳年上の親しい間柄だ。

白札しらふだとは準上士のような身分である。

 

 

半平太は潔癖症で至誠忠純の学者である。

だがアサリ河岸桃井道場の塾頭でもある。

学者であると同時に鏡心流明智流の剣客でもある。

 

 

龍馬はその名を聞いて憂鬱になる。

土佐には似つかわしくなく謹厳実直である。

半平太と一緒とはやり切れない思いである。

 

 

だが武市は軽格の若者から私淑ししゅくされている。

江戸、国もとの若者から「先生」と呼ばれている。

まるで神様のようにあがめられている。

 

 

その半平太を龍馬は「色が白く、えらが張っていますな」と表現する。

「似ちょります」若侍が噴きだした。

その夜、細雨がふり、半平太は濡れねずみになって帰って来た。

 

 

「先生、今日の昼、先生のお長屋に国もとから坂本龍馬という若造が来ました」

「ああ、来たか」半平太は竜馬のことえを兄権平から手紙をもらっていた。

「体重が十九貫もあるそうだ」それだけしか書いていない。

 

 

半平太を迎えた軽格衆は「じゃによって、天誅を加えます」

見れば布団が用意されていて龍馬を布団蒸しにするつもりのようだ。

「よせ」

 

 

 

奇想、奇策の布団蒸し

 

 

「許せません。すでに呼び出しております。」

その時、障子に大きな影がうつった。

龍馬がのっそり立っていた。

 

 

みんな度肝を抜かれたのはふんどし一本の素裸で大刀をつかんでいる。

「わしゃべこのかあじゃけんのう。べこのかあがべこのかあどもを退治るのは、これが一番ええ」

「ちぇっ、このべこのかあ」

 

 

なかまの一人が行燈を消した。

まっくらである。

「かかれっ」

 

 

土佐侍は古来、剣術より角力を愛する傾向がある。

どの男もめちゃくちゃ強い。

多勢を相手にするときは組み付いては自滅する。

 

 

龍馬はもっぱら、こうがんを蹴ることにした。

四半刻たつとどのものもヘトヘトになった。

「龍馬を伏したぞ」

 

 

それは息も出来ず死するような苦しみである。

「もうよかろう。あかりをつけろ」

一同、簀巻きにした布団を解いた。

 

 

中から出て来たのは半死半生の武市半平太であった。

龍馬が暗闇で半平太をねじ伏せ、身代わりの簀巻きにしてしまったのだ。

「御一同、ひかえなさい」

 

 

この事件の後、鍜治橋土佐藩邸で竜馬の人気がにわかにあがった。

「龍馬は不愛嬌すばっこな男だが、食えぬぞ、軍略を心得ちょる」

なんと全身に油を塗ってあったということである。

 

 

自分たちが神様扱いしていた半平太を身代わりに簀巻きにしてしまった。

半平太の権威を龍馬がまるで認めていないことに腰が抜けるほど驚いた。

また荒行事が終わってコソコソと部屋を出て行った龍馬の逃げっぷりに可愛げがあっていい。

 

 

「あれで怒らんかった武市さんも偉いが、龍馬は面白い奴じゃ」

何がも白いのかはわからないが、若者と言うのはいつの世も

龍馬のようにカラリと乾いた若者を中心に迎えたがるものである。

 

 

理屈よりも、気分なのだ。「えらい奴じゃ」

 

 

半平太はさすが器量人で腹を立てるより龍馬を百年の知己のごとく遇するようになった。

半平太いわく「秀吉も家康も、黙っていてもどこか愛嬌がある男だった。光秀は智謀こそその二人より優れていたかもしれないが、人に慕い寄られる愛嬌がなかったために天下を取れなかった。英雄とはそうしたものだ。たとえ悪事を働いたとしても、それがかえって愛嬌に受け取られ、ますます人気の立つ男が、英雄と言うものだ。龍馬にはそういうところがある。ああいう男とけんかをするのは、するほうが馬鹿だし、仕損じさ」

 

 

 

「龍馬は英雄ですか」

「においはあるな」

「しかし、かれには学問がない」

 

 

もろこしの項羽は、文字は名を記すに足る。

英雄の資質があれば、それで十分さ。

書物などは学者に読ませておいてときどき話させ、よいと思えばそれを大勇猛心をもって実行するのが英雄だ。

 

 

なまじ学問などをやりすぎれば、英雄がしなびてくる。