美しさを表す言葉がないほどの容色である。
心を奪われない若侍がいないほどであった。
と云われながらも実際に会ったものはない。
もうひと目見ることができれば死んでも良い。
遂に若侍はひと目見ることができて腹を斬った。
仲間が押さえ込んで何とか命をとりとめた。
家老福岡宮内の娘、お田鶴さま
『竜馬がゆく』においてとても重要な存在である。
土佐山内家二十四万石を説明する上で意味深い。
お田鶴さまから読者は多くを読み取らねばならない。
龍馬の身分や藩風、また物語のひのき舞台へ、橋渡しをする重要な存在
諸藩財政は既に米穀経済では成り立たなくなっていた。
才谷屋の分家、郷士坂本家は本家才谷屋から福岡家へお金を工面する。
関ヶ原後、この地へ来た山内侍を上士と呼ぶ。
長曾我部家の一領具足を郷士と呼んだ。
この身分の差が他藩にない窮屈さを生じさせていた。
身分の差こそ隔たりがあったが坂本家は事情が違った。
坂本家は四代八兵衛守之が高知本丁筋三丁目にうつり住み、酒造業を創業し繁栄した。
五代六代が巨万の富を築き、八代八平直海の時代に家業を弟にゆずり、郷士の格を買ってもとの武士に返り咲いた。
屋敷は本家の才谷屋と背中合わせだ。
福岡家と坂本家は、単に家老と町郷士という単純な関係ではなく、藩財政が不如意の時、福岡家は本家才谷屋八郎兵衛に金を借りに来ることが絶えない。
そのような事情もあり、郷士ではありながら、坂本家は福岡家と縁が深かった。
お田鶴は山内容堂、妹友姫の嫁ぎ先三条家へ奥女中として京へ行く
容堂は幕末四賢侯の一人であり、井伊直弼による安政の大獄で失脚させられたひとり。
されど関ヶ原以来、徳川家への忠誠を硬く思い続ける佐幕派である。
お田鶴はその妹と共に三条家で暮らし勤王の志士を助けるのであった。
井伊直弼の存在は尊皇攘夷派志士に苛烈な運命を背負わせる。
数知れず有能な人材がその屍を晒すこととなった。
時代の激流にお田鶴さまも竜馬も巻き込まれて行く。
清水産寧坂料亭『明保野』での逢瀬
しかし、お田鶴さまは
可愛いのう! 恋は嫌いじゃ!
だが、龍馬は勝ち気で利口な節度立ったおんなが大すきだ。
なかなか恋を成就する術を知らない龍馬
永遠の受容に導くお田鶴
神は何も教えることはない。
お田鶴さまは司馬さんが創作した女性だ。
その原型は平井加尾とかたられている。
土佐高知とは狭い地域社会である。
誰もが子供の頃から何らかの事情で親類のような関係であった。
加尾は龍馬の姉乙女と一弦琴を習った稽古友だちだった。
互いの住まいは1キロほどの近所で幼なじみである。
お田鶴さまは『竜馬がゆく』に花を添える女性でもある。