どのように接して良いかわからない
お田鶴さまと鰹座橋の岸に着き別れる。
天満八軒家の船宿へと高麗橋を渡ろうとした。
坂本龍馬、旅たちを彩る以蔵に寝待ノ藤兵衛
電灯がないので当然暗い。
提灯も持たない龍馬は欄干に身をすり寄せながら
そろそろと歩いている。
岡田以蔵の登場
「おい」
不意に背後から声を殺して呼びかけるものがある。
瞬時に龍馬は前へ飛んだ。
はかまのすそが切り裂かれたことがその感触でわかる。
じりじりとさがって橋のたもとの柳を小楯に取り
素早く刀を抜く。
真剣と対峙するのは始めてである。
はじめて来た土地で恨みをかうわけはない。
上段のまま直立して動きがない。
どのようなわけかはわからないが相手が動けば両断する。
中段に剣をとった。
声を掛ければその音を二の太刀が襲うだろう。
龍馬は構えを不意に中段から八相にかえる。
相手の影は僅かに動く。
驚いたことに夜目が利くようだ。
龍馬は近視である。
これは夜の戦いには不利である。
間合いを取り違えるし物陰が全て滲んだように見える。
殺気だった時空に橋の向こうから提灯の明かりが近づいてきた。
そして同時に人声が聞こえてきた。
話す言葉が分かるほどの声が近づいてくる。
殺気の中にいることが馬鹿馬鹿しくなり
「おい、人違いのようだぜ」
いきなり声を目当てに上段から振り下ろしてくる。
龍馬は拳を突き上げざまつばで受け、つばで突き上げた。
その一瞬間、相手の腰が浮く。
龍馬はうわ背と膂力を利用しつつ刀身で相手の左首筋を圧迫し、相手がその力に耐えようとしたところを利用して猛烈な足払いを仕掛けた。
龍馬のこの手に掛かるとたいがいのものは倒れる。
横倒しになったところを馬乗りになり、素早く刀を喉元に突きつけた。
「辻斬りか」「殺せ」
近づいてきた提灯に「頼みがある、その灯りをこれへ貸しなさい」
提灯が殺戮者の顔を明らかにした。
「おンし、岡田以蔵ではないか」
岡田家と坂本家は菩提寺が同じで、二度ほど会っているし、龍馬と武市半平太とは縁者だ。
武市半平太は以蔵を影ながら引き立てていた。
龍馬もことあるごとに以蔵を次の舞台へと案内していった。
これは小説を面白くするための演出のようだ。
寝待ノ藤兵衛、龍馬の子分となる
以蔵に金を恵んでやった自分が嫌で
そのまま伏見行きの夜船に乗った。
ふとんをかぶって眠っていた。
目が覚めたときは空が少し明るくなってきた頃合いだ。
思い出せばその旅の行商人風の男は莨を吸い続けていた。
「どこかね、ここは」
「あんた耳がないのかね」
「あるさ」
ぞんざいな聞き方であった。
さすが龍馬もむっとして、
「ここはどこか、ときいている」
「淀に近い」
どうやら旅なれた江戸の商人といったとこらしい。
会話はそれでしばらく途切れたが、しばらくして男は微笑してみせた。
「坂本の旦那、でしたよね」
「……」
今度は龍馬が黙る番であった。
「何故俺の名前を知っている」
「知るも知らねえも、旦那ご自身がおっしゃったはずじゃござんせんか」
「どこで、おれは申したかな」
「大阪の高麗橋のたもとで」
「おまんはいったい、何者じゃ」
目付きからしてただの薬の行商人とは思えない。
「あっしですかね、おぼえておいておくんなさい。寝待ノ藤兵衛と申します」
「妙な名前だな。家業は何をしている」
「泥棒」
「でござんすがね。けちな賊じゃねえつもりだ。若い頃から諸国の仲間では少しは知れた男のつもりでいる」
「おどろいたな、泥棒か」
「だ、旦那、お声が高え」
「あ、そうだった」
と龍馬は声を低め
「しかしおどろいたぞ。おれは田舎者だからついぞ知らなんだが、世間の泥棒というのはお前のように稼業と名前をふれあるいて行くものか」
「冗談じゃねえ、あっしは旦那が気に入ったんだよ。ちょっと打ち解けてみる気になったんだ」
高麗橋の後、天満八軒屋の船宿までつけていた。
「伏見のお泊まりはどこになさいます。」
「別にあては、ないな」
「ではこうなさいまし。手前の懇意な船宿で寺田屋というのがございます」
書面で残るのは英雄豪傑などで庶民の表に出ない人物を表に出し、史上の人物とのふれあいを書く。
寝待ノ藤兵衛が現れることで寺田屋との結びつきまでを書き上げている。
確かに寺田屋お登勢との出会いを説明する文献は残っていないであろう。