この国の姿を求めて生きて行こう

坂本龍馬と司馬遼太郎

龍馬の寝待ノ藤兵衛って本当にいたの

 

 

司馬さんは泥棒や忍者を書きたいんだね。

普通じゃないからおもしろいんだよ。

周囲を彩るキャラとして欠かせない存在なんだ。

 

 

『竜馬がゆく』に寝待ノ藤兵衛なしではつまんない

 

 

浮世の達人と言うのが大泥棒なんじゃないかな。

十九歳の龍馬に大泥棒の乾分を持つのはおかしい?

だが、寺田屋と女将おかみお登勢と出会う仲立ちをする。

 

 

本業を明かしたのは旦那が初めてですぜ、

 

 

手紙や文献だけを読んでいると

小説で一般庶民の出番がない。

読者は昔は侍ばかりだったような錯覚に陥る。

 

 

土佐の郷士は一領具足なので農民が多く出て来るし

龍馬の祖先を辿ると商人あきんどなので農民と商人は多い。

工業を受け持つたくみがあまり出てこないんだね。

 

 

さすがに忍者は出てこないけれど

刀鍛冶なども出演しても良かったんじゃないかなと思う。

だけど藤兵衛の公称は薬屋藤兵衛だったんだっけ。

 

 

そう言えば鼠小僧次郎吉が活躍したのは幕末だよね

真偽の程は別として武家屋敷に忍び込み

盗んだ金を庶民にばらまいたんだ。

 

 

実際にばらまいていないにしても

宵越しの金は持たねえ!なんて気取って

盗んだだけ湯水の如く使ったわけだから

 

 

お金の流れを考えればまんざら悪党でもないんだよね。

そう言えば藤兵衛は何で泥棒になったんだろう?

なんで一銭にもならないのに竜馬の乾分になったのか?

 

 

それは司馬さんが泥棒を出演させたかっただけなんだよ。

気質かたぎの風体で大泥棒がどうしても一人必要だったんだ。

物語を紡ぐ時の無理を可能にする役者が寝待ノ藤兵衛さ。

 

 

旦那(竜馬)はことが多いね

 

 

高麗橋では岡田以蔵に辻斬りにあう。

六本矢車の浪人に目を付けられれる。

それらの立ち振る舞いに藤兵衛は興味を持った。

 

きっと旦那の一生は途方も無くにぎやかになりそうですぜ。

東海道を上り、二川、白須賀の宿を過ぎ、やがて潮見坂にさしかかり遠大な眺望に出会う。

右手に遠州灘七十五里の紺碧が広がる。

 

 

左手には三河、遠江とおとうみ、駿河の山々が、天の裾野を濃淡に染め分けて重なっていた。

この風景の極めつけは富士山であり、竜馬ははじめて富士山を見る。

「藤兵衛この風景を見ろ」

 

 

「へい」

「一向に驚かぬな」

「見慣れておりますんで」

 

「若い頃、はじめて見たときは驚いたろう。」

「へい」藤兵衛は苦笑いをしている。

「だからお前は盗賊になったんだ。血の気の多い頃にこの風景を見て感じぬ人間は、どれほど才があっても、ろくなヤツにはなるまい。それが真人間と泥棒の違いだな。」

 

「おっしゃいますね。それなら旦那は、この眺望を見て、何をお思いになりました。」

「日本一の男になりたいと思った」

「旦那」と藤兵衛はむくれている。

 

「気のせいでございますよ」

「当たり前だ、正気で思うものか。直ぐに忘れてしまう……」

新居でそろそろお別れです。

 

「旦那、あっしを旦那の乾分にしてもれえてんだ」

 

 

「ははあ。泥棒の親分かえ、おれが?」

「ねえ、乾分にして下さいよ」

「……」

 

 

「お嫌でござんすか、旦那」

「なぜ、おれの乾分になりたいんだ」

「理由なんざ、ねえ。たでを食うようなもんでさ」

 

 

「好きなんだから仕様がねえんだなあ」

「蓼がか」

「いや、旦那がさ」

 

 

ここで司馬さんが泥棒を書く理由が書かれている。

「世間で大仕事をするほどのひとは、乾分に泥棒の一人も必ず飼っていたもんだ。諸国の様子が早く分かるし、世の裏も見えてくる。大昔の天子様で天武天皇は多胡弥たこやという泥棒を飼っていたし、源九郎義経さまの手下には伊勢三郎義盛という鈴鹿の山賊がいたし、太閤秀吉には、蜂須賀小六という泥棒がいた。」